「繰り返し読まれる小説」平野啓一郎インタビュー
2020.12.10.いったん最後まで読み通すと、「読んだ本」として、何年も書棚でホコリを被ってしまう。
小説はそう扱われてしまうことが多いですが、どうしてだろう? と、改めて考えることがあります。
他のジャンル、例えば音楽は、気に入った曲を繰り返し聴くほど愛着が増していく、という方が一般的です。美術でも、パリのルーヴル美術館などには名作が常設されていて、そこを何度も訪れて観ることで理解が深まっていく。
小説も繰り返し読まれ、「愛着の対象」となるように書くことは、重要な気がします。
すべての小説がそうとは言えませんが、再読、三読してもちゃんと面白い小説というのは、もちろんたくさんありますから。
じゃあどんな作品が、愛着の対象になり得るのか。こんな要素があるといいんじゃないかという点を、三つほど挙げてみます。
ひとつは、やはり文体です。
文章の持つリズムや言葉の用い方が心地よくて、読むこと自体が快感であるという作品は、当然ながら、部分的にでも何度でも読みたくなります。
逆にそうした体感を得られないようだと、どんなにいいことが書いてあろうと、読み返す気にはなかなかなれません。
もちろん文章には、一義的には、情報伝達の意味があり、日常的なコミュニケーションは、それに切り詰められています。
しかし、小説の文章は、何らかの伝えるべき情報ももちろん含みつつも、それだけでは物足らないでしょう。文章自体の味わいとか美しさ、思考に対する刺激とか、そういうものを読み手に感じさせるものです。
取ってつけたような美文調がいいというわけではありません。書き手が深い思考の末に表現したもの、それがその人の文体ということになるのでしょう。
次に大事となる要素は、場面です。
小説内のそれぞれの場面がうまく描けていると、「あの場面をもう一度読みたい!」という気持ちにさせられます。その場面を読むことによって前後が気になってきて、さらに他の箇所を読み進めたくなる……、といったことも起こります。
また、主題も重要でしょう。
今こそ深く考えるべき問題というのは、いつの時代にもあるはずです。それがきちんと取り上げられていれば、その作品は時を経ても古びたりはせず、広く読み継がれるものとなっていきます。
このカレンダーは、僕の各作品から一節を取り出して、週ごとに割り振って載せているわけですね。先に読んだときとは異なるかたちで小説の言葉に触れ直してもらう、それは新鮮な体験となるかもしれません。作品館の呼応に気づくこともあるでしょうし。
どの文章を抜き出すかは編集サイドに任せたので、
「読者は、こういうところに着目するのか」
という驚きもありました。
小説の中からこうした印象的な文章を選ぶのは、SNSでは日常的に行われているのかもしれません。
やっぱり小説にはメリハリがないといけないといけない。ずっと同じテンポやテンションで続くのではなく、ここはイメージと言葉を積み重ねて書こうとか、ここは書くべきことを完結に言い切るべきだとか、起伏が付いているものです。
今回のカレンダーでも、そうした文章の抑揚を意識しつつ、これは、という言葉を選んでくれたんじゃないでしょうか。
作者の「ここぞ」と考えた部分が、思惑通り読者に届くこともあれば、いいことを書いたつもりなのに一向に注目されない箇所というのもあります。ときには、「なんでみんな、そこがそんなに気になるんだろう?」と、不思議なこともあります。
今回は僕の過去作から、幅広く言葉が集められています。
長く小説家を続けていると、どうしても一冊では書き切れない主題を抱え込むことになります。それで複数の作品にまたがり同じテーマが展開されたり、ある時期を通してひとつのことを追求したりもする。
ですから、特定の一冊に留まらず創作活動の全体を意識して見てもらう機会があるのは、書き手としてもたいへんありがたいことです。
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