品田遊 エッセイ 「電子カレンダー。右に広がる闇。」

作者:品田遊


「電子カレンダー。右に広がる闇。」

 深い海をもぐっていく映像をYou Tubeで見た。

 深度が増すごとに青い光が衰え、闇が視界をつつむ。魚の生息域などとっくに抜けているから海洋生物の気配もない。いまにも、巨大な触手が奥底から伸びてきそうだ。
 だけれど、もしもこの深い暗闇がどこまでも永遠に続いていると知ったら。きっと触手が現れるのを切望するだろう。

 紙のカレンダーを使う人はいまや少数派だ。スマホにはいつでも書き込めるカレンダーアプリが搭載されていて、日常生活はそれだけでこと足りる。あらゆる利便性において、電子カレンダーは紙のカレンダーに勝っているといえる。電子カレンダーなら、毎年買い直す必要もない。
 だが、電子カレンダーは私を不安にさせる。その不安は深海に似ている。 人は空白の不安を予定で埋める。

 なぜか人間は空白を嫌う。隙間を見ると不安にかられ、何かをつめこんでふさぎたくなる。時計の発明は時間を可視化し、「未来」という空白の存在を発見した。現代人がせっせと予定を立てているのは、目に見える穴をふさぎたいという衝動が時間概念にまで侵食した結果ではないだろうか。
 
 電子カレンダーが表示する未来はどこまでもなめらかにつながっている。スクロールに応じた空白の未来がつぎつぎと生成されていく。
 右方向にえぐれた深淵。いくら予定をしっかりと立てて、それを実行できたとしても、私たちの未来には「無限の可能性が広がっている」。この定型文がはらむ恐ろしいニュアンスを、電子カレンダーが気づかせる。この道のりには「底」がない。しかしこのスクロールを続けた先のどこかに、「私」自身の終わりがあるのだ。それが何曜日か知らないが。

 電子カレンダーには日々くりかえされるタスクを自動で登録する機能がある。それによって際限のない未来にまで「予定」が刻まれることもまた、恐ろしい。
 私は毎月19日に風呂の排水溝を掃除することにしている。この予定を登録したせいで、西暦2250年の11月19日にも風呂を掃除しなければいけなくなった。
 長い長い廊下に、風呂掃除をする私の後ろ姿があって、均等な距離をあけて私が奥まで並んでいる。日に日に老いさらばえる私が、はるか遠くでぬめった毛髪をつまんでいる。さらなる年月の向こうで、朽ち果てた木のようになり果てた、生き物の形を留めなくなった私ですら、電子カレンダーの中では安らかに眠ることは許されない。

 それに比べると、紙のカレンダーは奥ゆかしい。暦はどこかできっぱりと終わる。2021年のカレンダーと向き合っている間、2022年のことなど考えなくてもかまわない。だから、無限の未来に怯えてしまう日は、紙のカレンダーを使うといいだろう。

 2250年11月19日の私は、排水溝から伸びた触手が自分を絡めとってくることを夢想しながら、今日も風呂掃除をしている。

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